「私がここに和の郷を創った理由」
 
 にんにく王国和の郷 代表の坂本三佳子です
私がなぜ、田子町に「にんにく王国和の郷」を創ったのかー


■活発だった幼少期 
 私は、青森県田子町に生まれ、田子町で育ちました
子どもの時から本当にやんちゃな子どもでした
学校から帰ると、山にサワガニ取りに行ったり
長寿のキノコがあると聞くと木に登ったり、 メンコや釘差しなどで遊んだものです
本当に男の子のようでした
中学・高校と運動も好きでバレーをやっていました
チームの主将をしていた自分が、チームの失敗は全て、
主将のミスと怒られるような時代です それでも達成感を味わうのが好きでした

■都会へ行きたい
元々、私は田舎が大嫌いで、絶対に都会に行く!と決めていました
美容師をめざし、東京へ行ったものの
『田舎者』な自分がどこかで見えてしまうのでは…と恐れ
 外見で何とか取り繕うことばかりを考える毎日でした
 
しかし、20歳の時に家庭の事情で青森県田子町へ戻ることとなりました
でもこの事が運命の始まりだったのかもしれません
東京から田子に戻ると毎日が憂鬱です。 『何も遊ぶところがない』
そんな時に、兄夫婦の衣料品の訪問販売を手伝う事になりました
訪問先での事です

 
「あなたが妹の三佳子さん?
ねぇ、ダイヤモンドはダイヤモンドで磨くの知ってる?
      人は人でしか磨かれないのよ!」

体中がしびれました
人の言葉でこんなに動かされたのは初めてです
その女性は、女社長さんでした
その言葉は、私が仕事として目標が見えた時となりました
 
■田子町のお母さんの言葉
私は田子町に住む人と結婚、3人の子どもを持ち 少しずつ考えが変わっていきました
 

 
『あの時出逢った、女社長のようになりたい』 と同じ販売の仕事を始めたのですが
お宅に販売に伺うと決まって出てくる言葉は、


「お金はお父さんから聞いてから」でした

 農家のお母さんは、小さな買い物も自由がないのかと驚きと悲しさでいっぱいでした
なんとか田子町に住むお母さん方に自由に使えるお金を作ってあげたい
自分で好きな買い物ができるようにしてあげたい!
 
 ちょうどその頃、父が亡くなり、母が元気をなくしておりました
母が70代、私は40代の時 急激に社会の様子が変わっています
農家のお嫁さん、母 愛子のためにも喜びとなることができないか?
そんな時、友人が先にネットを活用した通信販売をしていたので、 私はその友人に相談をしました 
『通販をやろう!』 と覚悟を決めました 



 しかし、商品「なんばん味噌」は受けいれてもらえませんでした
その後、残念なことに「食べるラー油」が爆発的に売れました

 そしてあの、大きな犠牲者を出した3.11の大地震が来ました
多くの会社が倒産し
家族で暮らした思い出の土地にはもう暮らしていけないことが起きたのです
このようなことが二度と起こって欲しくない。
私は
この土地に根差したことをしていこうと誓いました

 

この土地の良いもの・良い人達からお届けしようと決めたのです
当時、出会った同友会という組織で経営の勉強をして、
良い会社になろうと飛び込んだのもちょうどこの頃です

 
「あなたの会社が本当に必要ですか?」
「田子にんにくが本当に日本一ですか?」
「あなたは本当に良い会社にしようと思っていますか?」
「あなたに本当にできますか?」
「売上・社員の幸せ・商品の付加価値10年後はどうなっていますか?」

想いは人一倍あるものの、返す言葉がみつかりません
経営指針作りで理念を完成したものの赤字が続きました
売り上げがないと、私についてきた社員の給料が払えません
お祭りなどの催事で売り上げをあげますが、
それでも、私についてきた社員の給料が払えません

子ども達を家族に頼み出稼ぎを選びました
自分に心身共に余裕がありません
家族にさみしい思いをさせ心配もかけましたが、
会社ををたたむか続けるかの究極の選択を突き付けられ、もう崖っぷちです
逃げる事なんてできません
でも私はこの会社を残すことを選びました



■ターニングポイント
 そのあと尊敬する通信販売の会社に学びに行きました
このことが私にとって大きなターニングポイントとなりました
四国の地は私に田舎のそのままの良さをずいぶんと教えてくれ
私が何を考え進んでいくのかを見せてくれたのです


 
『ただいまー』と帰ってきた時の、我が家の匂い
忙しく働く母の後姿
台所から運ばれる美味しそうなご飯の香り
時には叱ってくれて、時には可愛がってくれた
田子町のおじいさん、おばあさんの あたたかな手
ザリガニを取りに言った時見た景色
町を彩る四季折々の風景…
ふと空を見上げると広がる満点の星空
昔から変わらないそのままの大自然
昔から伝わる無添加の料理... 煮しめや漬物…

 



よいところが周りにこんなにありました
田子町にはまだ残っているのです
私には当たり前の事すぎて 全然気が付けずにいたのです


■再スタート
社員も辞めて母、愛子と2人からのスタートです




最初のお客様の注文に涙が溢れました

お客様がいて私たちの仕事が続く事を心底有難く感じました

また、少しの手紙にお客様が大変喜んでくれました
りんごも入れてあげると涙を流してくれた人もいます
人の温かさを感じたと電話で話してくれました

人は人でしか磨かれなかったのです
私はあれだけいやだった田子町に、人に救って貰えたのです
その後、私は理念の言葉を変えました

 
『和を繋ぎ かかわる人々の
物心の幸せを創造する
農村環境を守り
国の一助となる』
 
『幸せです』と言ってくれるお客様が増えるように
この田子町が無くならないように
子どもたちが働ける場所となっているように
自然や畑がきれいでありますように
そのように想う人を増えます
ように

これが私がにんにく王国 和の郷を創った想いです